ローリングウエスト山紀行

ご挨拶

ローリングウエストが登山を通じて、感じ取ったもの・知り得たものを「山紀行文」にまとめ、皆様にこれから公開していきたいと思います。    
この山紀行に掲載しているヘッダー写真は、秋田の名峰「鳥海山」です。
右には朝日に当たって輝きだす実物「鳥海山」岩峰、左(岩峰の後ろ)にピラミッド形 のシルエットが見えますが、これは日本海に浮かぶ鳥海山のシルエットで「影鳥海」と呼ばれています。
鳥海山の影の背景には、水色の直線(水平線)も認識できるでしょう。
左下に日本海海岸線(酒田・象潟の街)が広がります。

 「影鳥海」は登山者にとってはなかなか遭遇できない憧憬の自然現象のひとつです。


鳥海山は、お花畑・岩峰・渓流・滝・池塘湿原が素晴らしく、独立峰でこれだけのバリエーションにあふれる山は珍しいです。
(今まで登ったお気に入りのベスト3)  

夏はそんなに困難な山ではありませんので皆さんも1度トライしてみてはいかがですか?

2001年9月 ローリングウエスト

秘境の山里:秋山郷から鳥甲山へ

2005年9月17日:前日夜行日帰り


新潟・長野の県境に、平家の落人が隠棲したと云われる秘境の山里「秋山郷」があります。  
冬は想像を越える豪雪地帯で、江戸時代の文人鈴木牧之が「秋山紀行」で紹介し初めて世に人に知られたそうです。  
その村を見守るように屹立する鳥甲山(とりかぶとやま)に山仲間たちと登り、秋の山郷の風情を楽しんできました。  
ナイフブリッジの峻険な登りが続きますが、スリル満喫しながらの雄大な稜線パノラマコースは本当に素晴らしく飽きることがありません。  
下山したあとは定番の温泉で汗を流しましたが、小赤沢温泉という鉄分の真っ赤なお湯が感動もの!
皆からは賞賛の声。  
素朴な山村の雰囲気を十分満喫して帰路へ・・・・バス車窓からは、実りの秋を称える喉かな田園風景が広がっていました。

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5:00過ぎから出発、いきなり急峻な登り。目の前には朝日に映える苗場山のシルエットが横たわる。

鳥甲山の頂上をめざしてナイフブリッジのスリル満点の稜線登りが続く。

マツムシソウ(松虫が鳴く頃に咲くのでこの名があるという)

雄々しい勇姿を誇る鳥甲山(日本200名山:2,038m)

若々しくあざやかなリンドウの色は、晩夏・成熟に対する抵抗の活力が感じられる。

ツリフネソウ(本当に浮船のような形をした花がブラ〜ンと吊り下げられた面白い高山植物)

キツリフネソウ(ツリフネソウの黄色版)

素朴な雰囲気にあふれた秋山郷から望む鳥甲山

秋山郷:小赤沢温泉の真っ赤なお湯(鉄分たっぷり、秘境の名湯)

帰路の車窓からは実りの秋、のどかな田園風景が広がる。


尾瀬晩夏

(2005.8/21〜23)

20年ぶりに尾瀬の山々に登り、メインコースの湿原・沼を逍遥してきました。  

この時期は人の数がめっきりと減り、静かな尾瀬歩きが楽しめます。  
メジャーな高山植物(ミズバショウやニッコウキスゲなど)はもう終わっていますが、晩夏の花々があちこちに咲きほこり短い夏を名残惜しんでおりました。

 (行程) 
鳩待峠⇒至仏山⇒尾瀬ケ原⇒燧ケ岳⇒尾瀬沼⇒大清水

*至仏山(2,228m)・・・蛇紋岩で形成される穏やかな山容、高山植物の宝庫

*燧ケ岳(2,356m)・・・5つのピークをもつ尾瀬の盟主の山、東北以北の最高峰

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至仏山からの眺望(正面は尾瀬ケ原と燧ケ岳)


ヒメシャジン(キキョウの一種)

山の鼻から尾瀬ヶ原へ、燧ケ岳に向かう

コオニユリ(香りが強く根も食べられるらしい)

ヒツジグサを敷きつめる湿原

ヒツジグサ(スイレンの一種:未の刻午後2時に花を咲かせることから未草の名が付けられている)

涼風の中で静けさを守る尾瀬湿原(燧ケ岳が雄々しく水面に映る)

ミズギク(山の湿原に群生する湿生の多年草菊)

タムラソウ(アザミに見えるが葉に棘はなく、実は何と菊の仲間)

ミズギクの湿原の中、木道を行く

サワギキョウの群生(鮮やかで可憐な花ですが毒もあるようです)

燧ケ岳から尾瀬沼に下る稜線

燧ケ岳から尾瀬沼に下り絵画のような風景が広がる。沼尻小屋(右)へ向かう

沼尻小屋で休憩、静寂の尾瀬沼を見渡す

尾瀬沼を周遊、静かな逍遥が続く

縦走を終え、100年以上の歴史をもつ長蔵小屋に宿泊(燧ケ岳を望む)

奥利根源流の秘峰:平ケ岳
(名山100座目メモリアル)


(2005.6/25)

現在の日本において秘境の山といえば、知床・日高、北アルプス黒部・裏銀座や南アルプス深遠部あたりが連想されると思うが、上越国境にある「平ケ岳」という秘峰をご存知だろうか?
決してメジャーではないのだが、知る人ぞ知る、岳人が憧れる山の1つである。

流域面積日本最大の利根川の源流域は上越国境にあって、一般登山者が登るルートが殆どない未開の山々が連なっており、「平ケ岳」はそれらの最高峰であるとともに奥只見水系との分水嶺となっている。

ハイカーで賑わう尾瀬の西北部にありながら、その登山口に辿り着くには奥会津の檜枝岐温泉側または新潟側の秘境奥只見湖からしかアプローチする手段がない交通アクセスの不便さ、さらに頂上に立つには登山口から往復11〜12時間もかかる。

平坦な山頂部には鏡のような水面を輝かせた多くの湿原・地塘が眠っており、まさに秘境の中で静かにたたずむ夢の世界のような山である。



昨年夏12年ぶりに東京に転勤し、山好きの有志で200名山を訪ねる中高年のツアー仲間に入ったが、メンバーにとって今回の「平ケ岳」は憧れの山であり15名を数える盛況の参加となった。
今回は金曜日の夜に貸切バスで出発し、美しき残雪の遠き山を制覇した後に檜枝岐温泉で汗を流して帰京する夜行日帰りの計画である。
いつもながらメンバーでワイワイ酒を酌み交わしながら、深夜のバスは奥会津の秘境檜枝岐方面へと向かう。

登山口から長い鷹ノ巣ルートを登る

早朝5時過ぎに鷹ノ巣ルート登山口に到着、梅雨の時期とは思えない雲1つない快晴!
憧憬の山を完登とするにふさわしい日に恵まれ、喜びの気持ちに溢れて意気揚々と登り出す。
しかし林道から道標に導かれた樹林の道はいきなりの急登、やがては足元が滑りやすい砂礫まじりのヤセ尾根の道となってきた。

急坂を2時間程歩くと下台倉山に着き、ここからはようやく傾斜の緩慢な道に変わりややホッとする。
しかし行程時間を見れば頂上まであと4時間・・6月とは思えぬ猛暑に汗も吹き出してきて水を多く持参してこなかったメンバーにとっては苦難を予感させるスタートとなった。

ナイフブリッジの岩稜は視界に優れ、標高をせり上げていくとともに左側に尾瀬の燧ケ岳が、背後には会津駒ケ岳が見えてきた。
登山道はだんだん雪渓に覆われ、ルートファインディングをしっかりしながら登らないと時たま道を見失う。
3時間ほど歩くとようやく白沢清水に着いて水を補給、暑さで体が水分を異常に欲しており乾いた喉に染みわたる山の水が実に旨かった。

樹林の間からようやく平ケ岳が見えてきた。
その名のとおり緩やかな優しい弧を描いた稜線・残雪を抱いた包容力のある山容は20年以上前に何度も登った大雪山系の山々を思い出させる。
でも平ケ岳の名よりも、もっと女性的なセンスのある優美な山名をつけてあげてもよかったのではないか?余計なお世話かもしれないが・・・。 

高山植物の宝庫(イワカガミ)


道の途中にはイワカガミやチングルマなど高山植物が咲き誇っており、パノラマを楽しみながらの山登りは本当に楽しい。
しかし平ケ岳はすぐ目の前にあるのに頂上に立つにはまだあと1時間近くかかる。
もう5時間近く歩いているのに・・・。
噂どおりの遥かな遠い山、憧憬をかなえる山にふさわしい。

湿原に咲き誇るチングルマ 

いよいよ池ノ岳、今回山行のクライマックスの1つである。
ここには大小の地塘が点在しており、最大湿原池「姫ノ池」から見る平ケ岳の姿は、小生が今まで登ってきた山々では見ることのできなかった美しい絵画のような景色だ。
深い青い色の水を鏡の如くたたえた池の水面と同じ高さに残雪の憧憬の山が緩やかに横たわる構図、静けさと清潔感の極み、期待していた以上の光景だった。

鏡のような姫ノ池から望む残雪の平ケ岳(夢のような光景)



そのクライマックスポイントからあと40分、いよいよ平ケ岳の頂上に向かう。
右手には低木樹林から残雪の越後の山々が美しく連なる。

11時過ぎにようやく頂上に到着!
凍らしてきたビールをプシュッ!
旨い!あ〜長かった・・。
この時こそが最高の至福・・・。

頂上からは、越後三山(八海山・中ノ岳・越後駒ケ岳)や巻機山・荒沢岳、尾瀬燧ケ岳・至仏山、会津駒ケ岳の雄大なパノラマが俯瞰できる。
さすがにこの冬は豪雪シーズンだったことから、残雪の山々が真っ青な空に映えて凛冽な景色が感動を倍加させてくれた。


この山のもう1つの見所は、奇岩「玉子石」である。
まさに名前の通り玉子型の花崗岩が台座に乗っている不思議な自然の造形である。
その背景には美しい湿原と残雪の越後名山が連なる。
こんな光景は見たことない!
まさに日本のロストワールド・秘境の雰囲気が漂っている。
玉子石は冬の厳しい豪雪での風化侵食でいずれは崩壊する運命にあるという。
多分この山には再度来れないだろうし、この思い出深い光景をしっかりと目に焼き付けておこうと意識しながら下山の路を歩き始めた。

奇岩、玉子石!湿原と残雪のパノラマ

12時半頃、下山途中で登りに向かう最後部の仲間達とすれ違った。
我々が登頂してからかなりの時間が経過している。
今回のツアー仲間はそれぞれ脚力に差があり先行組・中間組・苦戦組で少人数別ごとのマイペース歩調となり、隊列がバラバラになってしまった。
この登山道は往復コース1本なので仲間を見失う心配はあまりないが、苦戦組の疲労困憊した登りの表情を見るとこの山の長い登りは予想以上のものであることがよくわかる。
下りも砂礫まじりの悪路に苦しみながらようやく15時45分頃に下山口に無事到着、下りには自信がある小生も最後は脚腰が相当きつくなってきた。

最終後部の人の下山口への到着は18時近くとなり12時間以上の苦労山行となってしまった。
今から出発して東京に到着するのは23時過ぎになりそうだ。
檜枝岐温泉はあきらめて早々にバスで帰京、みんなバスの中ではややグロッキー気味となっている。
23時半に赤羽駅に到着、遠隔地から参加した人は結局その日のうちには帰れず宿泊して翌日の帰宅となったようだ。
さすが遠き山平ケ岳、夜行日帰りはやや無理があったかもしれない。


平ケ岳が憧れられる理由は、その素晴らしい山頂部の景色・雰囲気もあるがやはり誰でも簡単に登れない山であるからだろう。
11〜12時間近くかかる鷹ノ巣ルートの他に、実は中ノ股林道という作業道を車で上がり2時間程度で登れる裏道がある。
数年前に平ケ岳の静寂と自然を守ろうという有志の活動によって、現在そのルートは通行禁止となっている。
もし賑やかなおばさんハイカーたちがワンサといる頂上であったならば、今回の感動の刻まれ方もかなり違ったものであったと思う。
不便さと苦労があってこそ得られる喜びは所詮自己満足の世界でしかないが、山の喜びとはそのようなものなのである。

19歳の時、旅の会GDMに参加し八ヶ岳に初めて登って以来、平ケ岳が日本200名山の折り返し・100座目のメモリアルとなった。
日本200名山の節目はこの山しかないと思っていただけに、今回は日本の名山の真髄に触れられた本当に素晴らしい山旅となった。あと残りの100座を登り切るには一体何年かかるのだろうか?
20年は覚悟しているが70歳前くらいには達成したいなと思っている。
それまでに平ケ岳のような魅力的山には一体いくつ出逢えるのだろうか。


=番外編=

富士山はやはり見る山ですね

(2003.8/18)


富士山は1度登りましたが、1回登ればもういいかなぁという感じです。
高山病で頭は痛くなるし、荒涼たる風景だし、ゴミは多いし・・・
静岡に住んでいた頃、いろいろな場所・角度から風景とあわせて富士山の美しい姿を堪能しました。
何度見ても素晴らしいなぁとその都度感動したものです。
これほど登ったときと眺めたときのギャップのある山はないような気がします。
富士山はやはり遠くから見てこそ美しさが刻み込まれる山ではないでしょうか。




今年は帰省するにあたり北陸自動車道経由で帰りましたが、その際に加賀白山(2,700m) に家族登山に行ってきました。
(富士山・立山とともに日本三名山ともよばれています)

自炊の山小屋一泊で2日で12時間歩いたのですが、この山は高山植物が咲き誇っっており、登ってこそそのよさがわかる山でした。
でも山のよさは個人の主観ですから、決めつけてはいけませんね。




話はかわりますが、柏崎帰省したときに柏崎高校同窓会が開催され、蓮池薫も出席してくれました。
27年ぶりに昔の馬鹿話に花を咲かせ大いに盛り上がりました。




六甲全山縦走
(2003.5/24)


関西に住んで1年以上となったが、初めに驚いたものの1つは「高級住宅・マンションが山あいにビッシリ建っている」ことである。
「夜景はきれいだけれど、何故こんな急な坂を登り、 買物・通勤に不便な場所に競って住みたがるのかなぁ」と不思議に思った。
このような光景は阪神間(宝塚・西宮・芦屋・神戸)の山手、東西に連なる六甲山系の麓に集中している。
田園調布・成城の瀟洒な住宅群が丹沢山麓全体にこぞって広がっているようなものであり、大都会と自然が近接したこのような憧憬感のある住宅風景は日本の中でも極めて独特なものに思える。

エキゾチックな港町神戸や高級イメージをもつ芦屋・宝塚・西宮山手の背後に屏風のようにそびえる六甲山は、交通の便もよく手軽に登れる市民ハイキングの山であるが、東西の長さは40km以上の規模をもち全山縦走するには12-13時間かかる長丁場を覚悟しなければならない。

今までいろいろなルートで六甲山ハイクを楽しんできたが、1度は全山縦走に挑戦してみたいと予てから思っていた。
蒸し暑くなる前の5月下旬は日照時間も長くトライの最適時期であると思い立ち、会社の仲間を誘い2人で朝5時、宝塚の塩尾寺から縦走を開始した。

気持ちのいい朝日が昇り始め、岩倉山譲葉山を越していくと宝塚の住宅街や西宮カントリークラブ゙・甲山などが左手に見えてきた。
前方にはなだらかな六甲山最高峰(931m)が新緑に包まれて優しく広がっている。
出発後3時間半、最高峰に到着。
普段であればハイカーや観光客で賑わう山頂もまだ朝の8時半、人の数も疎らである。
山頂から凌雲台に向かう縦走路は輝く新緑にヤマツツジが咲き誇っており、明るく爽快感あふれる山道が続く。
まさに一番快適な季節・・・。  

宝塚側からなだらかな六甲最高峰に向かう


新緑とヤマツツジのコントラストが続く山道


凌雲台からは、左手に芦屋ロックガーデンが見える。
ここは風化した大きな花崗岩群が露頭した六甲の人気ハイライトコースであり、日本の近代アルピニズムの発祥地として有名だ。
程なく行くとレストラン展望台に出たが、まもなく10時。
この時間となると車やロープウェイで上がってきた観光客が増えてきた。
今度は六甲山ゴルフ場の中を通り抜けていく。
ここは日本のゴルフ発祥地であり、神戸ゴルフ倶楽部が経営している。
黒塗りの車ばかりが駐車してあったが、フェアウェイは傾斜がきつく狭いコースだ。
ラウンドしたら間違いなく大叩きしそうである。
近代登山とゴルフのルーツを2つも抱える六甲山、かつて神戸に居留した外国人たちがこの身近な自然をこよなく愛し、日本にスポーツ文化を残した歴史の足跡を知ることができる。  

ここから先はアスファルトのドライブウェイ道路を歩く。
固い道を歩くのは疲れるが、摩耶山までは山道が殆どないので仕方がない。
六甲山牧場で昼食休みを取る。
家族連れで賑わうファミリー牧場で羊や乳牛などが放牧されており、非常にあかぬけた牧歌的な風景が広がる。
2時間の車道歩きで案の定、足が棒のようになってきた。
すでに出発から8時間以上歩き続けているのだから当然なのだが・・・。

途中には摩耶山天上寺という古刹があった。
大化の改新時代の創建で、お釈迦様の生母・マーヤ夫人をまつってあることから摩耶山の由来があるという。
広い駐車場とロープウェイ駅が頂上にある摩耶山からは、神戸の街・港が全貌できる素晴らしいパノラマが広がっていた。
この展望エリアは掬星台と呼ばれる。
神戸1000万ドル夜景は有名だが、空と街のきらめく無数の☆を掬(すく)えるくらいの美しさからこの名が付いたのに違いない  

明るくあかぬけたムードが広がる六甲牧場

ここからは天狗道・稲妻坂という花崗岩の山道を下り、市が原という渓谷河原に着いた。
もう10時間近くは歩いているのだが、縦走路はまだ続く。これから高雄山・再度山へは急斜面の登り返しだ・・・。
足はかなり張ってきており辛くなってきた。
途中で同僚とはぐれる羽目にもなり、大龍寺から諏訪山を経由して、夕方6時過ぎに神戸元町の駅にようやく着いた。
1日で13時間の行程は、先日の大峰山行を越える長丁場の山歩きになってしまった。
六甲全山縦走は、さらに西の須磨まで踏破してこそ本物らしいが、もう時間的にも体力的にも限界である。
新田次郎著「孤高の人」の主人公加藤文太郎(六甲山をこよなく愛し、槍ヶ岳北鎌尾根で遭難した実在人物)は大正時代に全山(須磨〜宝塚56km)を8時間で歩いたという。
先人の健脚ぶりにただ脱帽するばかりである。
今回は予想通りの歩き甲斐あるコースであった。  


摩耶山掬星台から神戸港パノラマを俯瞰

神戸の街はきれいである。
1995年1月の阪神淡路大震災から8年余り、街は完全に復興して新しく建てなおされたビルや神戸港・北野異人館などのエキゾチックな建物など、洗練された華やかな雰囲気が漂っている。

大震災では6千人を超える尊い命が奪われたが、その被害の大きい地区を線で結びつけてみると、淡路島北部から六甲山全山に沿っているのである。
つまり六甲山は大震災の誘発原因となった地殻断層を抱えもつ魔の連山だったのかもしれない。
しかしあの悲劇を知らない自分にとっては、神戸の街全体を背後から包み込むように守るように連なっている優しい山に見えてしまう。
(大震災犠牲者の方々には心から哀悼・・)  

身近にある六甲山も全山踏破してみると、いろいろなものが見えてまたひとつ印象深い思い出をつくることができた。
やはり百聞は一見にしかず、歩いて刻む楽しさがまた増幅されたような気がする。


(PS):阪神ファンの皆様!今年は18年ぶりに六甲から力強い風が吹きおろしていますね!  


日本最古の霊山山脈「大峰山」を歩く
(2003.5/2-4)

大峰山は女人禁制・修験道の山である。
山上ケ岳・大普賢岳・弥山・八剣山(近畿最高峰)・釈迦ケ岳など1,500〜2,000m未満の山々が南北に連なっており山脈全体を大峰山と呼んでいる。 
紀伊半島中央部を貫く長大な脊梁山脈(ソメイヨシノで有名な奈良吉野山から和歌山県境まで及ぶ)は南北150kmにも及び、このスケールは北アルプス・南アルプス・東北の飯豊朝日連峰に匹敵するものではないかと思う。
近畿にこんな長大山脈があったとは・・!
昨年の大杉谷・大台ケ原に続き、自分の山国イメージがまた衝撃的に壊され、リニューアルされてしまった・・・・。  

女人禁制といっても全山に女性が登れないという訳ではない。
修験道本山の大峯山寺がある山上ケ岳の周辺だけが行者修行の場となっており、このエリアに女人は立ち入れないことになっている。
そこには女人結界門という大げさな門が幾つか存在しており、厳格に女性を拒んでいた。
男女平等がナーバスに配慮されている今日において、この頑固さは大相撲の土俵とこの山くらいではないかと思う。
長く深く刻まれた歴史と宗教の重みがそうさせているのだろう。  

今回も横浜・静岡時代からの山仲間2人と一緒に登った。
奈良郡山ICで5月2日早朝に待ち合わせ、車2台で奈良の深南部へ向かう。
万葉の大和三山(畝傍・耳成・香具山)・高松塚古墳などで有名な日本のルーツ明日香村を途中で通過していく。
「ここが高校時代に古文・歴史で習った懐かしい地名か・・・その里を通っているんだなぁ・・」
と感激!ワクワクと心が躍り始めた。  

稲村ケ岳でのキレットにて

天川という奈良の秘境村に到着、駐車場脇の登山口で準備を整え朝7時前から登り出したが、早速に観音峰・法力峠などいかにも行者の山という地名が現れる。
紀伊半島の山は全国一降雨量を誇る山だがこのGWの天気は絶好の五月晴れとなった。
乾いた空気の中で大峰山脈の全貌を十分俯瞰しながら、新緑の季節にふさわしい爽やかな風を楽しむ贅沢な山旅のスタートを切る。

稲村小屋に到着、昼食はおにぎりで腹ごしらえした後、迫力あるキレットをもつ稲村ケ岳を空身でピストン制覇。
さすが行者修行の山だけあって、奇岩・難所が次々と目の前に現れた。  


女人結界門の前で残念そうな女性登山者
いよいよ本日のメイン、女人禁制・修験道の総本山である山上ケ岳に向かう。
歩くこと50分、出たっ!! 女人結界門・・・!
噂通りそこには女人禁制の立て札とロープが張られている。
禁欲の中で行を励む人たちにとってここは神聖な場所であり、妄想を断つためにも女性の立ち入りは御法度とされたのだろう。
修験道開祖の役行者(えんのぎょうじゃ)が我国の山岳宗教ルーツとなるこの山を開いて1,350年、その歴史と信仰の重みが威厳をもって立ちはだかっていた。

背景には長大な大峰山脈が果てしなく広がる

女人結界門をくぐり行場登山道を上がっていくと、行者修行のクライマックスエリアである覗岩に着いた。
この岩は断崖絶壁となっており、奥駈修行を行なう者にとって拷問に近い修行を受ける場であるという。
身を崖から突き落とされんばかりに吊るされ、この世の罪を反省させらて懺悔を誓わされる修行を受ける所なのである。
小生はそのような神聖な場に立ち、ややミーハー的なポーズをとり写真に収まってしまった。(バチが当たるかもしれない・・・)


覗岩から程なく歩くと日本の修験道総本山・大峯山寺に到着、参拝を終えて今回のメインピークの1つ山上ケ岳に向かった。
登頂した時、特別な感慨を抱いたわけではなかったが、奥駈修行を何日間もしてきた人にとっては、この頂上は感涙に咽び泣くような、感動に満ちた眩しく特別な場所であるはずだと思う。
それだけ奥駈修行は長く厳しい修行であるらしいから・・・。  

1日目は小笹の宿(無人小屋)で宿泊した。
そこには金剛像が祀られており山伏姿をした修行者(多分下界では普通のサラリーマンと判断したが・・)が般若心経を唱えている。
触発されたのか仲間の1人も焚火をたき始めた。
やはり他の山では見られない特異なムードを持っている。  

2日目は小屋を6時前に出発、今回の山行でメインピ−クに次々と挑戦する日である。
大普賢岳をまず制覇、素晴らしいパノラマ!
本日も新緑の風を浴び快適ウォークでスタート!
木が芽吹いたばかりの山道は霊山特有の精気に満ちたムードを全く感じさせず爽やかな登りが続いた。
しかし大峰山脈をなめてかかってはいけない・・。
ここからの道のりが非常に長かった。  

歩けど歩けど次のポイントになかなか着かない。
出発から10時間を過ぎてようやく弥山小屋に到着した。
昨年夏の大台ケ原山行時の蒸し暑さであったならば相当疲弊していたに違いない。

さらにそのまま空身ピストンで近畿最高峰の八経ケ岳(別名:八剣山)を往復登頂。
何と今日は11時間も歩いてしまった。
ヘトヘトになってビールで乾杯。
今日は本当に疲れてしまった。  

木々が芽吹く大峰ルート
最終日。
八経ケ岳に再度登頂(当然ご来光を見るため)、今日も快晴!3日間連続で素晴らしい天気に恵まれ、パノラマを楽しみながらあとは下るばかりである。
予定通り10時30分ミタライ渓谷に到着することができた。
下山バス停にはこの地を訪れた歴史上の人物のレリーフがあった。
何とメジャーな名前が連なっているではないか!
空海・天智天皇・藤原道長・西行・源義経・弁慶・静御前・後醍醐天皇(吉野は南北朝の南朝御所のあった場所)・円空・豊臣秀吉・徳川の歴代将軍・・・etc。
こんな奥深い山にこれだけの人物がよくぞ歩いて来れたものだ!と・・ただ驚嘆。  

平安時代から、天皇・貴族を始めとする古の人たちは和歌山にある熊野大社をめざして、奈良京都から数十日をかけて歩き続けたという。
その道は総称して「熊野古道」と呼ばれている。
古道はいろいろなルートがあり、奈良・和歌山を中央に貫く小辺路・中辺路(ヘジ)、紀伊半島海岸線を周遊して目指す大辺路、そして最大の苦行をしながら大峰山を縦断して熊野をめざすのが奥駈道、と多岐に渡っており、各種ルートは将来「世界遺産」として登録される運びになっている。
史跡ではなく道全体が遺産指定されるケースは世界的に見ても非常に珍しい例であるという。
奥駈道縦走路は山中10泊は必要となる究極のルートで現在殆ど挑戦する者はいない。  

最後は定番、山奥の下市温泉で汗を流す。
歩き甲斐のある充実した3日間に大いに満足!  

今回は30時間近くかかるハードな行程であったが、昔の人は満足な装備も登山靴もなく山の中を100時間以上歩いてきたのだから本当に感服する。
熊野に行けば極楽が存在しそこで救われるという一念で苦行をやり遂げることができたのだろう。
現代でもサラリーマン生活を終えた人生の晩節を迎えた人たちが山上ケ岳での奥駈修行に挑戦するケースが増えてきたという。  

世俗にまみれた自らの人生を振り返り、来世を前に贖罪するために「懺悔懺悔六根清浄」と唱えながら、女人禁制の行者場で苦行をやり遂げるのだ。  

まだそんな境地に全くなれない自分ではあるが、いつか枯れゆく人生を迎える頃には、一念発起してもう1度この山に挑戦している姿があるのかもしれない。
近畿最高峰の八経ケ岳(八剣山)頂上にて


秘境大杉谷から大台ケ原山へ
(2002.8/22-23)


大台ケ原山は日本一雨の多い山である。
台風の通り道である紀伊半島の奥深きこの山脈には、常に湿った海風がふきつけ多量の雨を降らせ、吉野川・熊野川・宮川という急流を生んでいる。
その膨大な流れは峻烈な断崖渓流をつくり出し、人をはばむ秘境として存在していた。

関西に転勤して深い山にはあまり期待していなかった小生にとって、三重・奈良に奥黒部のような秘境があったとは予想だにしていなかった。

横浜静岡時代からの山仲間と三重松阪(和牛で有名)で待ち合わせ、タクシーで走ること2時間、宮川ダムから大杉谷の遡行を開始した。

いきなりエメルドグリーンで澄み渡る渓谷の色に遭遇し、深い原生林と峡谷の山道には次々と名瀑が現れる。
切り立った絶壁にかかる吊橋や断崖の道に響き渡る水流の音を聞きながら、奥を詰めていく秘境遡行はまさに感動の連続であった。


足もすくむ断崖の山道


宿泊は「桃ノ木山の家」という渓谷に臨む山小屋であったが、意外にも近代的な設備で滝の音を聞きながら十分に睡眠をとることができた。

翌日は本渓谷のハイライト七つ釜を見ながら、大台ケ原山(100名山)への渓谷道を遡行する。
当日は低気圧が通過していたために大雨を覚悟していたが、意外にも天候に恵まれた。
しかし日本一の降雨量を誇る山だけあって湿気は高く、汗の出る量は半端ではない。

数々の滝を見ながらを遡行

広い滝壷をもつ勇壮な堂倉滝を過ぎると、やがて渓谷の音は薄れて深い緑につつまれた山道に様相をかえていく。
ブナ・イチイ・シャクナゲがびっしり埋める原生林は日本一豊富な雨によって培われたのだろう。
木の精や気が濃厚に我々を包む。
依然蒸し暑い登りは続いた。

正木ケ原に出るとムードは一変し、トウヒの木が立ち枯れて荒涼として幻想的な風景が広がっていた。
伊勢湾台風で多くの木がなぎ倒されたことにより生み出された風景だという。 


いよいよフィナーレ!大台ヶ原山へ


大台ヶ原山周辺に着くと人の数が増えてきた。
奈良から自動車道が開通しておりこちらからのアプローチは容易なためでかつての秘境も形無しである。

大駐車場に到着し、缶ビールで乾杯!
バスで奈良の吉野川の流れに沿いながら、近鉄大和上市に出て帰途についた。

北・中央・南アルプスや北海道・東北・長野の山はかなり登ったが、奈良の山は印象が違う。
大雨が育む濃密な原生林と屈指の渓谷美をもち、行者宗教と深い歴史に刻まれた霊山であることに気づいた。
何か大きな気を受けて帰ってきたような印象だった。