07新春:富士前衛(御坂の山々)パノラマ縦走

2007.1/13

新春・初夢・初日の出・・とくれば、その主役はやはり霊峰不二・日本一の富士山(3,776m)。
2007年の登り初めは、美しい白雪の富士山を眺めながら富士北部前衛の山々を歩くパノラマの山旅でありました。西湖の目の前に連なる毛無山・十二ケ岳・金山・鬼ケ岳の縦走路からのレポートをお送りします。

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西湖毛無山から望む朝の富士山 手前は足和田山(五湖台)

新春の霊峰富士
本当に心が洗われます

新宿駅西口に早朝集合したFツアー15名。
晴天の空、見目麗しい初参加の女性2名も迎え、いつにも増して華やかな雰囲気です。

河口湖ICを下りて足和田村登山口からの毛無山、山頂からの眺めは感動的!まさに絶景です。
眼下には西湖と足和田山、その背景に真っ白に雪化粧した美しい富士山の雄姿。
左手に河口湖、遠くには富士東部前衛の山々(杓子・御正体・石割)が横たわっていました。


河口湖と河口湖町
遠景は富士東部前衛の山々

西湖毛無山の頂上
(富士山周辺には朝霧高原側にも毛無山があります)

冬期の静岡・山梨・神奈川の山々は晴天率が高く、乾いた空気でパノラマに恵まれることが多いので登山者にとってはベストシーズンとも言えます。

今年は暖冬、富士山の積雪もこの時期にしては例年になく多めでした。
1〜2月は西高東低で乾いた北西風が吹き太平洋側は本来雪が少ないのが通常パターンなのですが、暖かい冬は雨が多く、富士山には雪が積もりやすいのです。
前週3連休初日に台風並低気圧が来襲し全国的に大雨だったことも、真っ白な雪景色の富士パノラマを演出してくれました。
我々の行く縦走路も積雪量が多く、アイゼンを用意してきて本当によかった!


さざ波が光り輝く西湖の湖面

連なるコブを過ぎミニキレット鞍部へ 吊橋から十二ケ岳への急な登り開始

十二ケ岳頂上でのFツアー集合写真 満足げな表情の皆様(Kさんご提供)

これからは十二ケ岳への縦走路、樹林の尾根の中を進むアップダウンの狭い登山道。
次々にあらわれるコブごとには一ケ岳・二ケ岳〜十一ケ岳と単に数字が積み重ねられた山名の立て札が続きます。
雪道の滑りそうな危険な急下り道を終えると吊橋に到着、ここは十二ケ岳に向かう最低鞍部。
目の前を見上げると直立に切り立つ崖のような道!
「なんか結構ハードな初登りになったなぁ・・・」
と思いつつも、快適なスリル感を味わえました。
山経験が浅い初参加の麗女お二方も結構逞しくこのスリリングな登りを楽しんでおり、これから大いに期待ができる人材とお察した次第です。

富士山は見る位置によりその姿が異なる 徐々に男性的な表情になってきた。
南アルプス白根三山:日本第2の標高 北岳と間ノ岳・農鳥山(Kさんご提供)

十二ケ岳頂上にようやく到着!皆でワイワイとビール・ワインを飲みながら昼食タイム。
冬の山頂とは思えない程の暖かい陽気、目の前に広がる富士の雄姿、バリエーションある刺激的な登り、南アルプスパノラマも満喫しての心地いい縦走路!
「いや〜実に素晴らしい日になったね!」
今年の初登山がいい日和に恵まれたことに皆が喜びを感じていました。
「初富士や・・、今年も春から縁起がイ〜ワイ!」

その後の金山・鬼ケ岳への稜線もなかなか手ごわく、メインの節刀岳はあきらめて西湖に下りました。
最後は定番コース「温泉」で疲れを癒し、帰京バスでは銘酒を沢山持ち込んで楽しく賑やかな雰囲気。
西湖湖畔から見る車窓の富士の美しい姿には感嘆の声があがっていました。   いざフィナーレ!


鬼ケ岳から望む富士と西湖
額縁に入れて飾りたくなるパノラマ

帰路のバスからの風景
(西湖・富士遠景)

「富士山はいつ見てもいい山ですね・・・。」
今から9年前、富士初登山に挑戦したとき、ホロ苦い記憶がトラウマのように残っています。
高山病にかかって登りが辛かったこと、観光登山客とゴミの多さにウンザリしたこと、眺望には恵まれず荒涼とした山頂風景だったこと・・・等、あまりいい思い出に残らなかっただけにその時は「富士山はやはり見る山なんだなあ・・」とあらためて認識した次第です。  
でも、でも・・・、♪富〜士は、日本一の山〜♪
当分封印のつもりですが、またいつかは登ってみようと思う日が来るのかもしれません。

1月23日ようやく文化庁が富士山を「世界文化遺産」登録正式候補として決定しました。
ごみ不法投棄等の諸問題を乗り越えて早くユネスコ登録されるといいですね。



GDM:30周年記念OB会(浅間隠山)

2006.11/3〜4
「早稲田大学旅の会:GDM」、旅の会では山好きのメンバーが集ったやや異色の存在・・・。
「グループ・ド・モンターニュ」(山仲間)という洒落た名前の由来はフランス語ではあるものの、在籍メンバーに漂う雰囲気はお瀟洒でフレンチな香りとは全く無縁(むしろ対極)、欠食児童・ビンボーで山好きな変人集団と、皆に思われていたことは間違いありません。

30年の時を経て、懐かしい個性的メンバー達は軽井沢の地に集結し旧交を温めるとともに再び山に皆は戻ってきたのです。
某ビル(株)の将来の常務・ナベさんにご紹介いただき、リッチな某ロッジ軽井沢での開催、見た目は超豪華なOB会となりました。
しかしディナーは居酒屋での宴会、宿泊ロッジに酒を持ち込んで総会費は何と13千円、安く・質素に・賑やかに・・・。
やはりGDMにはフランス料理は全く似合いません。

参加者総勢は12名(16回生:5名、17回生:5名、18回生:2名)の大盛況ぶり。
4名の方(リョースケさん・・福岡、法師さん・・神戸、CHAさん・・福島、こづえさん・・茨城)には遠方よりこの会のために駆けつけてくれて本当に感謝・感謝です。



(1日目):いつまでもメモリアル、爆笑・濃厚な再会の大宴会

16時現地集合で案内をしたのですが、東京出発組は行楽シーズン関越自動車道と軽井沢市内の大渋滞に巻き込まれ大幅遅刻到着となってしまいした。
(幹事の読みが甘く反省・・・) 
「元気そうね〜!」、30年ぶりに再会した方々もいましたが、懐かしい顔を合わせれば昔の面影がすぐにフラッシュバック!あの頃の青春時代に戻っていました。


(1)高級志向は苦手のGDM、まずは居酒屋で乾〜杯!
でもこの写真は特に不思議なのです・・・後述

居酒屋で全員集合して着座、30年ぶりの再会なので初めはややお互いシャイな雰囲気。
CHAさんの心温まる乾杯の音頭でいざ開宴すれば、アルコールが入るにつれてGDMメンバーの生来のお馬鹿さはすぐに露呈していきます。
お互いに触れられたくない若かりし時の逸話が昨日の出来事のようにフラッシュバックし掘り起こされていきました。     
あっという間に腹がよじれる爆笑の渦・渦・渦。
しかし皆さん、忘れてほしいくだらない事を何で30年前なのにこんなによく覚えているんでしょうね・・。
(最近は健忘症なのに)


(2)某ロッジ軽井沢で2次会、華麗にワインで乾杯!
慣れないセレブリゾートで精一杯背伸びするGDMの面々

 
さて、場所を移して2次会。
今日の宿泊所、軽井沢のロッジに酒・つまみを持ち込んで大騒ぎ体勢での集合! 
でもここは秋篠宮様が宿泊された格調高い超一流ホテル。
そう、ナベさんは心配していました。
GDM面々をホテル本体から隔離せねば・・・と。
(ホテルのイメージ崩壊は即、ナベさんのサラリーマン人生の危機に繋がります。)
でも独立ロッジに隔離していただいたおかげでGDMの真価は大いに発揮され、ハチャメチャな大騒ぎで皆は日頃のストレスから大いに解放され素晴らしい一夜となったのです。
        o(^▽^*)ノ   ♪\(^^)(^^)/♪   o(^▽^*)ノ



このたび参集された懐かしい12名の皆様のプロフィール・近況などを紹介しましょう。
まずは16回生の皆様・・・まさにGDMの象徴でありこの会の中心を彩る方々です。



(3)15回生の皆様・・・本当に個性的な人々
永遠のアイドルこづえさんだけが救いです

CHAさん
GDMの象徴、山の経験・キャリアは旅の会歴代で右に出るものはいないでしょう。
学生時代の後半は、海外の高山に挑戦する勇敢なロッククライマーでした。
今はその経験と人脈を生かし、登攀家たちを従業員とする高層ビル清掃会社の社長。
競合者の入る隙間がないニッチなビジネスを展開した成功物語はニュースステーションなど2回もTV出演し紹介されました。(今は福島から新幹線通勤)
なぜか馬券師としてハマる世俗的な面は意外ですが、やはりブナを愛するマタギ姿が似合っています。  

現役チョイ悪オヤジY氏
大手食品メーカー勤務で美味しい食を皆様に!
私にとってはこの方が学生時代一番怖い先輩、いつも怒鳴りつけられていました。
スケコマシのYといわれ数十年、軟派・硬派が同居できる特技は大尊敬、毒舌ジョークは今も冴え渡っていました。
でも時を経て心身とも大いに丸くなってお笑い系に変身しており、今は癒しの先輩の一人です。
人生(性)定量は平等?Yさんは特別、煙は出ても終了旗が出ない限り彼は挑みます。

亀吉様
GDMのもう一方の象徴・御神体、この方の存在こそが腹を抱えて大笑いできるお馬鹿な盛り上がりのマグマ源流。
学生時代に貸した800円(K池さん)・1万円(S長)、H角イカサマ麻雀、学食への自家製卵の持込み、いつもこの方の話題は涙が出て腹をかかえての大笑いを提供してくれます。
「爆笑問題」太田光を見るといつも亀吉さんとの姿が重なります。

ANGERA
エッ?GDMメンバーだったっけ?という声もありましょうが、実は今回の裏の仕掛人。
相変わらず人を使ううまさは絶品。どんなワガママも通ってしまいます。
今回、登山は尻込みしていましたが無事登頂達成して立派!
某サイトの毒舌・エロ・シニカルに満ちた神楽坂文学の筆は常に絶品、楽しませてもらっています。
今回もお馬鹿な問題児を中心にGDM(原点は高尚だったのね・・)を斬って頂きました。
こんなアホ連中を斬って何の得になるの・・?と言いつつ実は本人が一番お馬鹿に悦!

こづえさん
GDM−OB会の華・こづえさんの参加可否の行方は皆さんの注目の的でした。
ご不幸にも今年2月ご主人に突然先立たれ、失意の中で会社経営者の立場を引き継がれて心身とも本当に大変な1年だったとのことです。
でも気分一新で懐かしいメンバーに是非会いたい!と、超多忙スケジュールを割いて参加頂きました。(大感謝!)
お話してみれば職人を使いこなす立派な女性社長ぶりを発揮されており「私って結構人間が強いことがわかったわ〜。」と本当に明るく元気そうで安心した次第です。



次はわれら17回生の面々の紹介です。16回生には負けるけどそれぞれ個性的・・?


(4)17回生の皆様
スイスより帰国した一部の派手な方を除けば少しはマトモに見えます、そんな事ねーか!?


リョースケ
国内では一番遠方から駆けつけてくれたリョースケさん。
今は○○ガス会社系列のリビング会社の仕事に従事されています。
ローリングウエスト(筆者)と並ぶ商学部B型の典型、昔から逸話に事欠かないデコボココンビでした。
参加者で唯一本格的な山の格好と大きなザックで登場した彼ですが、やはり今回もやってくれました。
神楽坂殿レポート通り、立派な一眼レフカメラと皆へのお土産は本来の目的を果たせず福岡に虚しく戻ったのでした。

寂恋法師
就職したのは証券会社、その後金融再編・合併を経て次々と所属する会社の名が変り、今は超メガバンクに身をおいています。
趣味は短歌と碁を愛する風流な法師様。
今年の夏には「平成東下り、狂歌で綴る当世単身事情」という本を出版し華麗に文壇デビューを果たしました。
碁ではインターネットで海外の方と毎晩対戦しています。
登山では一人大苦戦でしたが、下りは元気になって皆を驚かせていました。

元樹里井(元ジュリー)
名古屋の一流企業でご活躍の元樹里井様。
懐かしい方に再会すると「お前は誰だ?お前は樹里井じゃねー!」と言われるらしく、最近は完全に慣れてしまったそうです。
販売優秀店のワガママ親父たちの海外旅行接待に疲れ果てていた彼は、久しぶりに気を使わずお馬鹿な連中と大笑いができる旅に参加してストレス解消ができたようです。
山は本当に久しぶりだったようで大汗かいて登っていましたが、結構ガンバっていたよ!

TARA様
国籍不明のGDMの妖艶(妖怪ではない)。
大台の齢を越えても「箸がころがっても大笑いできる特技」を維持し、連射される毒舌攻撃でも憎まれない人徳(得な性格)を持ち合わせます。
今回のOB会は彼女のスイスからの来日にあわせて開催しました。
年2回定期的に日本来襲、ハリケーンTの通過したあとにはぺんぺん草も生えません。
浅間隠山の頂上、周辺光景とは明らかに異なる空気・衣装でオーラを放っておりました。

ローリングウエスト(筆者)
学生時代の仲間では昔のイメージが一生まとわりつき、払拭するためにどんなに背伸びをしても周囲はそれを許さず、常に笑いのネタに扱われ易い損な性格。
大役幹事を果たすため用意周到・緻密に本計画を進めてきたもののやはりB型に見られる詰めの甘さが露呈します。
またも道に迷い、翌夕まで二日酔いの頭痛気味「迷幹事・酩幹事」の汚名を晴らすことはできませんでした。
何年後にもまた言われるんだろうなあ・・。
でもこの会は一生の深いおつきあい、永久幹事を拝命する覚悟で望みたいと思います。



最後は18回生です。一見ジョーシキ的な感じのお二人ですが・・?


 (5)18回生のお二人
15・17回生と比べればかなりマトモに見えます。単に相対的な話だが・・


熱血教頭先生
熱血教師の彼は依然頑強な体格、腕相撲をしたら絶対に勝てそうにありません。
手に負えそうにもないほど元気の余った生徒も先生に逆らうことはないようです。
この1年はいろいろご苦労があって笑う機会が少なかったようですが、後日、次の感謝コメントを頂戴いたしました。
「大笑いの一夜で本当にリフレッシュできました。久しぶりの山登りは不安でしたが、いざ達成してみると自信が復活し、また登山を再開してみたいと思います。」
→GDM幹事としては本当に嬉しいお言葉です。

ナベチャン
少年時代は純情であどけないイメージに見えたナベチャン・・今は違います。
この日のために一生懸命にお洒落してきた先輩亀吉さん(ユニクロで新調)に対して開口一番、「なんかフリーターみたいですね。」と淡々毒舌。
ガクッとこける亀吉さんを見て大爆笑の旅は始まりました。
今回瀟洒なホテルを提供していただき感謝!
GDMメンバーを隔離してホテルの格調をこわさない会社への配慮、やはりその機敏な動きは清濁を併せ呑む立派なサラリーマンとして成長しておりました。
早く常務に昇進して頂き、次は都心のスイートルームで我々を大騒ぎさせてほしいものです。


(6)学生時代に貸した金のことを思い出し激怒する亀吉さん。ロッジの中は爆笑のルツボ

30年ぶりの全員再会、お互いに卒業時の年齢以上に人生の年月を積み重ねてきました。
今は日常の瑣末ごとをすぐ忘れてしまっても、20歳前後の数年間のことはいつまでたっても覚えています。
(特に逸話・笑いのネタものはイジョーな程、記憶に刻まれておりました。)
多くのストレスに晒される50歳前後の我々にとって、青春時代の共有の思い出を大笑いして語り合えることは本当に必要なんだなあと、皆さんの屈託ない笑顔を見て思いました。

   

(7)リッチなロッジは我々だけのお馬鹿なワールド、爆笑・盛上がりの夜は更けていく

いつまでも大笑いしていたかった夜ですが、温泉にも入りたい!明日は山登りだし・・・と50齢になると皆それなりに常識人になっており、自制心呼び起こされ23:00過ぎには一応のお開き。
(一部の方は宴なごり惜しく、温泉入浴後にも再び酒杯を傾け始めましたが・・)
本当に楽しかった!この夜の馬鹿騒ぎは12人の脳裏にいつまでも刻まれることでしょう。
(お疲れ様、お休みなさ〜い)



(2日目):30年ぶりの全員登山、浅間隠山に挑戦!

この3連休は素晴らしい天気に恵まれ、2日目の朝も爽やかな秋晴れとなりました。
昨日の宴たけなわ夢の跡、楽しく過ごしたロッジを背景に集合写真でリフレッシュです。
(私は完全なる二日酔いで最後まで酒が残り続け、リフレッシュしたのは夕方でした。)
CHAさん・こづえさんは所用があり登山には参加できず、残念ながら朝にお別れです。
まさに爽やかな涼風とともに去りぬ・・・(こづえさんだけへの贈り言葉とさせてください。)
                        ヾ(^_^) byebye!! 


(8)爽やかな朝での集合写真!・・・GDMとは無縁であり続けたリッチなる軽井沢ロッジにて


軽井沢の近くで最も有名な山といえば、やはり「浅間山」(日本100名山:2568m)です。しかしこの山は今も噴煙を上げて火山活動が活発なために登山禁止でトライはできません。
今回GDMのメモリアル山行として選んだ山は、その有名火山を隠してしまう面白い名の「浅間隠山」(日本200名山:1757m)といたしました。
手軽に登れ、眺望の素晴らしさは抜群、最近非常に人気の高い山です。
登山路に向かうドライブウェイは美しい癒しの紅葉。
山は30年ぶりの方もいるGDM山行、果たして50齢の面々は無事に登れるのでしょうか?
 

(9)ワイワイと楽しく山登り。急傾斜で結構歩き甲斐ある山 
学生時代から久しぶりの山挑戦の方も何人かいました



(10)ついに頂上にたつ!日本200名山「浅間隠山」
   天気はよかったが山頂にガスがかかっていたのは残念

車3台で登山口まで乗り付け、いざ登り出したのは10:30AM。
本来の計画では9:00出発だったのですが、やはりGDM時間・・・スタートが予定より遅れるのは昔からの定番です。

1時間15分程度の登り行程ですが、久しぶりに挑戦した方は結構急な傾斜できつい登りだったようです。
元気な方とバテバテの方、完全に明暗が分かれておりました。
寂恋法師はバテ代表格。
学生時代背負った重い荷物がなくて楽な空身なのに、現在それ相応の脂肪が身につき、地球重力に逆らって足を上げる辛さは法師として修行の連続です。
優雅に歌を吟ずる余裕などありません。
安寧で心広い僧侶の心は全くすっ飛んでいました。

「オラオラ!足を進めていこうぜぃ!」と最後部より檄を飛ばす硬派なY先輩ですが、綺麗な子連れの奥さんを見ると「お子さんおぶってあげようかな。」とやはり軟が現役です。  
元樹里井氏も大汗をかいてヘバリ気味でしたが、結構ガンバッていました。(^Q^)
神楽坂女史は小生にケーキを背負わせ、そのゴミも持ち帰らせる抜群の人遣いのうまさ。

TARA様。一番賑やかでうるさかったのはやはりこの方です。
登山中、私の一挙一動にネタ攻撃をさかんに仕掛けて人をからかっては大笑い、この歳にして天真爛漫の珍しい人です。
国籍不明の面立ちに、豹柄模様の衣装・トンボめがね・エナメル調の子供サッカーシューズ。
見たくなくてもその姿は、否応なく一般人の目にも飛びこんできます。
このミスマッチなお姿・・・。
周りの登山者たちは我々の集団を何者と捉えたのでしょう。

さらにジャージの亀吉様、サッカーユニフォームのナベチャン。
この異種混合の不思議な一行は正午に無事200名山頂上に立つことができました。
(よくぞ!やりましたー!)
    

(11)さりげない山道写真を撮ろうと思っているのに・・・ 
すぐカメラ目線になってしまう神楽坂女史



(12) 下山は皆元気!結構いけるじゃ〜ん!お疲れ様
でも皆さんいい歳、あんまり過信すると痛い目にあうよー!

      
 
昔とった杵柄、さすがに体が慣れ軽くなり元気な下山となりました。
特にTOPを行く法師がリベンジしハイピッチな大変身!
久しぶりの登山にもかかわらず、50齢前後の10名はコースタイムより早い50分で登山口に到着帰還したのでした。(次もいけるぞー!)
リョースケ・ナベちゃんと別れ、残り8名は山旅の癒しを近くの温泉で締め括りました。



(こぼれ話):ちょっと気になる不思議な写真

参加者の皆様への配布写真を整理していたところ、不思議な写真を何枚も発見しました。
バカ騒ぎをした夜の懇親会写真9枚に「マリモ状で青白いオーブ光」が写っているのです。  
それぞれの写真には、光の濃淡や位置を変えながら皆の談笑に加わるように写っており、ちなみに2日目の山の写真には全く見られませんでした。
決して画像処理したものではありません。フラッシュも焚いておらず光の反射やゴミの映り込みとも思えないのです。
よく観察してみましたが本当に不思議です。

*写真(2):リョースケさんと石上さんの間に青く光るマリモのような球が浮いています。

*写真(3):こづえさんの上部に薄い白色球が1つ、矢澤さんの上部には2つ見えます。

*写真(4):リョースケさんの右、光る庭灯の上部に白っぽいオーブが薄く浮かびます。

*写真(5):ナベチャンの左の椅子上部に白っぽく写っており、まるで「3人で一緒座って撮りましょうよ!」と言っているようにも見えます。

*写真(6):矢澤さんの頭部に青く光るマリモ状の球がはっきり写っています。

この写真はよく見ると、背景のガラスにも矢澤さんの後姿とオーブ光が映っており、前後の位置関係を確認してみるとやはりその光球は矢澤さんの前面にあることがわかります。
(その他、皆様に送った写真にもいくつか写っています。)

しかし全ての写真を見ると心霊写真のような怖い感じは全然なく、むしろ我々と一緒に楽しんでいるような印象さえ受けるのです。まるでこの日を待っていたかのように・・・。

私の勝手な解釈・思い込みですが、この光球は今から22年前に鹿島槍ケ岳で亡くなったGDM19回生:野際秀治くんの御魂なのではないかな・・・と思います。
この手の話を信じない方は一笑に付して頂いて結構です。(小生は結構信じやすいので・・)

実はこのようにGDM全員で山に集まるOB会の開催は今回が2回目、第1回目の幹事は野際くんが企画してくれたのです。
1984年10月13〜14日に丹沢のロッジに酒を持って泊り込み、久しぶりの再会を懐かしみ、山の歌を唄い本当に楽しい一夜を過ごしました。

その2ケ月後、彼は冬山の遭難事故でその貴重な命を失ってしまったのです。
12月31日、川崎柴笛クラブの冬山合宿で鹿島槍ケ岳に挑戦していた折に、発生した雪崩に巻き込まれ26才の短い命を閉じてしまいました。
彼がその時にGDM−OB会の企画を思い立ち、幹事としてご苦労してくれたのは、2ケ月後の運命を予感していたからかもしれません。

そして写真(1)をご覧下さい。
まさに久しぶりに全員が再会し居酒屋で乾杯した時の写真ですが、たくさんのオーブ光がまるでシャボン玉のように広がっている不思議な写真です。
実はこの時CHAさんに乾杯の音頭をお願いしたのですが、「皆さん・・。皆で楽しく乾杯する前に、まずは亡くなった野際くんに献杯をしよう!」と突然にCHAさんから発案があったのです。
この写真はまさに献杯直後のものであり、まるで「先輩方!自分のことを思い出してくれてありがとうございます!今夜は一緒に楽しく飲みましょう!」と喜びに溢れてオーブ光が飛び跳ねているように見えるのです。
この献杯と写真のタイミングはあまりにも偶然すぎて、やはり私は信じてしまいます。
そしてその後、彼も軽井沢ロッジについて来て、皆と一緒に楽しく過ごしたのでしょう。



(エピローグ)

無茶で元気でビンボーだった20歳前後の学生時代から早や30年が経ってしまいました。
久しぶりに全員で元気な姿で再会・・・!でも皆、成長しないのかあんまり変わりませんね。
爆笑して盛り上がりストレス解消! 久しぶりに山に登り、自信復活でまた山をトライしたいという方が増えれば幸いです。素晴らしい思い出をまた一つ刻むことができました。

不思議な写真のことが真実かどうかはわかりませんが、山で若い命を失ったGDM後輩のことを、皆で思い出し偲ぶいい機会になったことだけは確かです。

人生1つの節目時期(50歳前後)に、こうして山仲間全員が集まる機会をもてたことは本当によかったことだと思います。
10年20年後に再会してもあいかわらず同じ話題で腹をかかえて大爆笑していることでしょう。 
GDMの皆さん、また集まりましょうね〜!

おわり   .


越後の山、紅葉 (八海山・守門岳)

2006.10/21〜22
日本一美味しいお米「魚沼コシヒカリ」と銘酒「八海山」で有名な新潟県の魚沼地区。
中越地震発生からちょうど2年目を迎えた10月下旬、越後の名山を訪ねてきました。

1日目(峻険、苦行の八海山)

豪雪地帯で水が美味しいお米・お酒で有名な魚沼地方には越後三山があります。
この存在感のある名峰達は、越後駒ケ岳(2003m)・中ノ岳(2085m)・八海山(1778m)。
越後駒ケ岳は三山における盟主、中ノ岳は最高峰、八海山はメジャー度NO1、それぞれが役割分担しているような気がします。
でも越後三山は単なる山塊というスケールではなく、長大な稜線をもつ山群というべきでしょう。
挑戦には相当な気構えと体力が必要です。
     
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八海山は修験道の山、八海大明神像

千本槍小屋に煙る霧の八つ峰

荒々しい八海山の不動明王(O氏提供傑作)

八海山は越後三山の中で最も低い山ながら、最も峻険であり古くから修験道の霊場として信仰されてきた修行の名山です。
山名由来は八つの岩峰ですが、登り終えてみてかなりハードで危険な山だったと身をもって知りました。
看板表示には「足を滑らしたら命はありません」・・・。
まさにその通り、雨・風が強ければまさに命懸け、下手をしたら真逆さまに谷底です。
ガスが立ち込める中で鎖場の岩々を渡り歩いていく姿はまさに修験の行。
地獄と極楽の境目を無事に乗り切り、下山したあとは地元主催の銘酒「八海山」・舞茸のキノコフェステバルでの歓待を受けて、まさに極楽浄土に昇天したのでした。
 

命懸けの岩峰登攀、恐怖の鎖場を行く

峻険を極め一息、無事を喜び合う (O氏提供)

葉も色づき紅葉を味わうが、下山も一段苦労を味わう
何ともハードな山である



2日目(懐の深い癒しの山:守門岳)

越後・会津国境の山を最近訪ねることが多いのですが守門岳もまたこの地域の名山です。
昨日はひたすら危険を感じながら緊張の連続で、紅葉の美しさを味わう余裕などは殆どありませんでしたが、この日は打って変わって光溢れるパノラマの山旅となりました。


安らぐような守門大岳の逍遥の道

爽快・輝きに満ちた青雲岳から見る守門岳

快晴の山々の麓には雲海が広がる   

雲一つない快晴、なだらかな山容に鮮やかな紅葉。
どんなに葉自体が色づいていても真に美しい紅葉を味わうためには光が必要なのです。
青空に浮き上がる鮮やかなモミジが目に焼きついた時こそ「秋の山に来たんだ!」という充実感が溢れてきます。
守門岳の頂上からは、燧ケ岳や越後三山・平ケ岳などの大パノラマにも恵まれて大満足!
前日の八海山での厳しい修行の後は、色鮮やかな極楽光景が待っていました。


紅葉の山に落ちる滝の音
最後に癒された秋の山の光景

美しい紅葉にはやはり光が必要
鮮やかな青空が背景だと一段と冴える

ブナの山道の逍遥は本当に気持ちがいい

この日は中越地震から2年目を迎えた日でした。
バスの車窓からは新しいトタン屋根の家々が多く見られ徐々に復旧の姿を見せています。
昔は瓦屋根が主流だったこの地区の家でしたが、重い瓦が多くの犠牲者を生んだのでしょう。
雪が落ちやすい急角度のトタン屋根への改修が目立っていました。
震災・豪雪の苦難が続いたためにこの地を離れていく人々も多いと聞いています。
春から秋は自然に恵まれた本当に美しい所ですが、この地で豪雪の冬を乗り切って生活していくことは本当に大変なことだなぁ・・とあらためて思いました。



【番外編】

千葉:鋸山・養老渓谷

2006.10/9
日本百名山・200名山をもっていない都道府県は千葉・愛知・京都・和歌山・広島・山口・香川・佐賀・沖縄の9県(山の多い京都・和歌山が該当するのはちょっと意外)ですが、各県には味わいある名低山が存在しています。
山のイメージが全くない千葉県にも、素晴らしい歴史ある山や渓谷がありました。
06年10月9日(体育の日)は雲一つない素晴らしい快晴、居ても立ってもいられずに東京湾アクアラインを越えて安房の国に向かいました。

(今回の旅は超お手軽ピクニック、ローリングウエスト海紀行かな?いや寺紀行かも・・・)

南房総・富津金谷港の背後にギザギザとした岩壁が連なる個性的な「鋸山」があります。
(ここはよく考えたら、旅の会が生んだ天下の「S雀聖人」のご生誕地・富浦のすぐ近くではないか・・・?
卒業生の追い出しコンパで何度も来た岩井海岸「甚五郎」もまさに近隣です。)
鋸山は標高わずか329mながら、その名の通り鋸が横たわったアルペン的で迫力ある姿・・・。

ロープウエイを利用すれば3分で頂上に立てる山ですが、麓にある古刹・大仏・石仏群の路を散策しながらのんびり登っていくこととしました。

鋸山日本寺は今から1,300年前聖武天皇の勅詔を受けた高僧行基が開いた名刹で、ここには「日本最大の薬師如来大仏」(昭和44年復元)が鎮座しています。
コースの途中には1,553体にものぼる「羅漢石仏」が各所点在しており、頂上付近の石切り場には垂直岩肌に彫刻された「百尺観音」もありました。
(栃木大谷観音やバーミヤン石仏のよう・・・大迫力!)
山全体が霊域・修行の場という雰囲気があり、この山をロープウエイで一挙に登ってしまっては勿体ありません。
(是非とも史蹟を楽しみながら歩いていくことをお奨めします。)

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鋸山:日本寺の日本一の大仏(高さ31m、奈良の大仏より大きい)

千五百羅漢の石仏群の道を行く(春のような鮮やかな緑と鳥の声が囀る)

鋸山の岩肌に彫られた百尺観音(バーミヤン大仏のような迫力)

鋸山頂上は、まさにガイドブック通りの絶景!
雲ひとつない青空のもと東京湾の全景が一望でき、三浦半島越しに富士山・箱根の山が間近に横たわっています。
(この角度から見る富士山の姿は初めて!)
南房総半島の野島崎方面や伊豆大島もよく見えました。
頂上部は「地獄のぞき」と呼ばれる断崖絶壁のスリリングな岩場風景があり、この岩はまるでライオンの横顔!
東京湾に向かって豪快に咆哮している姿に見えるのです。
山道は鳥の声が囀り、さすが南国房総・・今は初夏かなと感ずるような陽気でありました。


頂上の「地獄のぞき」からは本当に素晴らしいパノラマを望める

切り立った岩盤「地獄のぞき」ライオンが「ガオー」と吼えている

東京湾に富士山と箱根の山が横たわる
手前の平地は横須賀久里浜と三浦半島

車に乗って房総半島を横切り、外房鴨川方面へ・・・。
今度は日蓮聖人のルーツを訪ねる旅です。
鴨川シーワールドの10km程東側にある天津小湊、ここには史蹟・奇勝の穴場があります。
日蓮聖人の生誕地でありその由来名の「誕生寺」と天然マダイの生息地「鯛の浦」。
日蓮聖人が生誕した時、この天然湾にはそれを祝福するようにマダイの大群が現れたとの伝説が残っていました。
春うららのような水平線の光の輝き、そして誰もいない秋の海、まさに癒しの休日とはこんな日なのでしょう。


南房総の穏やかな海、陽だまりの乱反射の水平線はまさに癒しの光景

安房小湊の名勝「鯛の浦」天然のマダイが多く生息している

小湊の街から山合いに北上、日蓮聖人が立教開宗を宣言した「清澄寺」に向かいました。
清澄山に佇むこの寺には、年輪深く刻まれた杉の巨木や「南無妙法蓮華経」を日の出の海に向かって唱える日蓮像があります。
日蓮とS雀の二大聖人を生んだこの安房の地、この二人には何か共通点があるのでしょうか?・・・私には今だよくわかりません。


日蓮聖人の生誕地、安房小湊
鎌倉時代に建立された誕生寺

日蓮聖人が日蓮宗を開祖した清澄寺

題目「南無妙法蓮華経」を唱え開眼したのはこの地
日昇に祈る日蓮像

清澄寺からさらに北上、大多喜・市原方面に向かうと「養老渓谷」があります。
確かに大した渓谷ではないけれど山の少ない千葉県唯一っていうところがいいじゃないですか。
木漏れ日の中で癒しの川辺歩きをゆっくりと楽しんで、晴々とした気持ちで帰路に向かいます。
東京湾アクアライン「海ほたる」でも東京湾の水平線の煌きを楽しみ、17時には家に到着、プシュッと美味しいビールを飲み干し心地いい疲れを癒してコロンと熟睡。


千葉にも渓谷があった。「養老渓谷」

木漏れ日からの静かなせせらぎ

今日辿った旅、南房総半島が光に映える
アクアライン「海ほたる」から撮影

快晴だからと思い立って出発し、秋の良き日を日帰りでリッチに過ごすことができるなんて・・・。
ちょっと料金は高いけど東京湾アクアラインはやはり便利で贅沢です。
この夏の北アルプスに続き、進歩した社会インフラ恩恵のありがたさをしみじみ感じました。
あまり便利さに慣れすぎると、それが当たり前になってしまい、苦しみ希求の中から得られる感動の本来価値が薄れてしまっているのかもしれませんが・・・。
でもこの便利さがあるからこそ、こうやって紀行文にまとめる余裕もつくれるんですね。


北アルプス奥深き山々を訪ねて

裏銀座ルート&赤牛岳:4泊5日縦走

2006.8/20−24
北アルプスで最も有名な槍ケ岳から北部・黒部源流に延びる長い尾根ルートは「裏銀座」と呼ばれ、スケールの大きい美しい名山が数多くあります。
このメインルートと黒部源流域の間には、日本で最もアプローチが長くて遠い山「赤牛岳」も鎮座しています。

この奥深い山々を踏破する計画は一昨年夏より2回トライしたものの、毎年台風の接近で実現が挫折・・・。
今回こそはと3年越しの挑戦がようやく実りました!

学生時代以来の4泊5日の長〜くハードな縦走計画、予想通り厳しい道のりでしたが、それだけに印象深く心に刻まれる山旅となりました。

自己反省点も沢山・・・。
今後の山人生での教訓ネタも多く発見させていただきました。

山紀行レポートもかつてない長い山紀行文ですが、ご一読ください。

【コース日程概要】

[1日目]高瀬ダム→ブナ立尾根→烏帽子小屋

[2日目]烏帽子小屋⇔烏帽子岳(ピストン)→野口五郎岳・真砂岳→水晶小屋

[3日目]水晶小屋→水晶岳⇔赤牛岳(ピストン)→鷲羽岳→三俣山荘

[4日目]三俣山荘⇔鷲羽岳⇔鷲羽池(ピストン)→三俣蓮華・双六岳→双六小屋

   (O氏・Y氏は黒部五郎岳→双六小屋で再合流)

[5日目]双六小屋→弓折岳分岐→鏡平→ワサビ平→新穂高温泉

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裏銀座縦走路
遠くには槍ケ岳・穂高

水晶岳から遥かなる赤牛岳
に続く雄大なコース

優美な花びらを風車状に
アピールするエゾシオガマ

高山植物の女王とよばれるコマクサ

神秘的な鷲羽池にて
(背景は鷲羽岳)

黎明の槍ケ岳北鎌尾根
(手前は硫黄尾根)

 

【プロローグ】

8月19日、東京は今日もうだるような暑さ。
この夏は7月豪雨など不安定な日が続いたが8月になると連日の猛暑、お盆を過ぎても依然厳しい残暑が続いていた。
しかし2年連続で計画を断念させられた台風の接近は、今年は幸いにもなさそうだ。

静岡時代から一緒に登っているO氏・Y氏と22:00新宿高速バスターミナルに集合する。
今回はかつてない長丁場縦走なので、全て山小屋泊り(朝夕食・炊事具・寝具は不要)という計画。
二人からは「Light&Fast:軽く早く」で行くべしとの事前提案を貰っていた。 

自分としてはそれを意識してのパッキングで集合したつもりだったのだが、いざ3人のザックを比べて見れば小生は75リットル18kgなのに、2人は40リットル10kg(歴然たる差の超軽装)
「あれ程言ったのに本当に分かってねえなぁ・・」という両名の冷たく厳しい視線を浴びる。
「エッ!北アルプス長旅なのにこんな軽装でいいの・・!?」こちらもあらためての驚き・・・。

この差の理由はのちほど明確になり自身への今後の教訓を得ることになるのだが、今回の山旅は重荷ザックで終始苦労を強いられお二方に迷惑をかけることとなってしまった・・・。
反省 m(_ _ )m


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【1日目】 烏帽子ブナ立尾根、大苦戦

「日本三大○○」という名所名物はいろいろな分野において登場するが、山の世界には「三大急登」と呼ばれる非常にキツイ登りの尾根が存在する。
1.烏帽子岳のブナ立尾根、2.甲斐駒岳の黒戸尾根、3.谷川岳の西黒尾根(3は剣岳早月尾根や笠が岳新道の説もあるようだが、1.2については異論がないようである。)

今回の登山計画は、信濃大町から高瀬ダムを経由していきなり三大急登(1)のブナ立尾根から登り始めるルート。
厳しい登りになるとは覚悟はしていたものの、荷物の重さと厳しい暑さ・体調不良で予想以上の苦戦に陥り、初っ端から二人とは離ればなれの歩きとなってしまった。

学生時代における北アルプス縦走の装備は、テント・炊事道具・寝袋・照明具・食料・水・着替えなどがギッシリと詰まり、重さ25〜30kgのキスリングが肩にくい込み、本当に苦労したものである。
自分の中には当時のイメージが依然強烈に残っている。

今回は社会人の特権を生かして、全てが山小屋泊りの贅沢縦走。
雨具、数日間の着替え・昼食用食料・水と必要小物だけでよいという安心感で、つい余計なもの(凍結させた500mlビール2缶・ペットボトル茶2本、氷の詰まった水筒、豪華弁当、ワイン・酒のつまみ等を満載)を沢山ザックに詰め込んでしまった。
→ ○| ̄|_(これが今回苦行の原因・・・教訓その1)

1日目くらいは頂上で贅沢感を味わおうとしてしまったことが、あとあとまで尾を引くこととなる。
学生時代と比較すればザック18kgの重さは「Light&Fast」を十分実現したつもりだったのだが・・・。
「日本三大急登」のブナ立尾根の登りはそうそう甘くはなかった。


裏銀座コースの入口
高瀬ダム

不動沢トンネルを抜ける
(O氏提供)

日本三大急登
ブナ立尾根の傾斜

出発点となる「高瀬ダム」は日本一標高の高いロックフィルダム(自然の石積みで造られたダム)で、山奥ダムの独特な風情をもつ。不動沢トンネルを抜けるといよいよ日本三大急登尾根への登りの始まりである。

当日は全国的なフェーン現象で一段と厳しい猛暑!(38度記録した所も沢山あったとか)
ブナ立尾根は予想通り急傾斜が始まり、重い荷物が肩にくい込みいきなり大汗が噴き出す。
息が切れて15-20分歩いては15分休憩の繰返し・・。
まさに亀の歩きとなってしまった。
軽装で体調万全のO氏・Y氏は急登尾根をものともせず脱兔のように駆け上がっていく。


猛暑のブナ立尾
足が全く上がらない

造花然としたヤマハハコ

タカネウスユキソウ
茎葉がヘラ状
(ヤマハハコと親戚)

オオレイジンソウ
上品な白い花

ブナ立尾根の傾斜は後半さらにきつくなっていき、途中で両足のコムラ返り(筋肉痙攣)まで発生する始末。
烏帽子小屋に到着したのはO氏・Y氏より2時間半も遅れとなってしまった。
ヘトヘトで念願の冷たいビールと弁当にありついたが、食欲もなく思惑はずれ・・・。
烏帽子岳頂上と池巡り・お花畑を楽しんできた余裕のO氏・Y氏と小屋でようやく再会。
コムラ返り防止対策は、こまめに水分とクエン酸(レモンは最適)を摂ることだと博識のY氏が教えてくれた。(・・・教訓その2)

高校野球決勝戦のラジオ(早実VS駒大苫小牧、延長15回熱闘)を聞きながら、本日はまさに疲労困憊・・早めにダウンしてしまった。
あと4日、先が思いやられる・・・。



【2日目】 雷と霧中の稜線歩き(祝、早実優勝!)

夏山の天候は「朝方の天気は晴れ・昼頃からガスが出始めて夕方にひと雨降るものの、夜は再び安定した空気に戻って綺麗な流星の夜空を満喫」というのが標準パターンである。

前日疲労困憊で登頂断念した「烏帽子岳:2,628m」、体力回復して朝快晴のパノラマを味わえればよいという目論見でリベンジに望んだが、目を覚ましてみれば朝から不穏な空気。

ガスが立ちこめゴロゴロと遠雷が聞こえる。
何で・・?夏山なのに朝からこんな天気になってしまうなんて・・・。
青空をバックに、鋭突とした形状の烏帽子岳の全景を目に焼き付けておきたかったのに・・・と、目算外れで落胆の気持ちで4:00に起床した。

烏帽子岳へピストン登頂に向かったが、一人で行く小雨・稲光・雷鳴の中ではブルーな気持ちの歩きにしかならない。
「もしかして頂上で晴れるかも」という願いも虚しく、ついに烏帽子の突兀シルエットはガスに覆われて見ることができなかった。

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突兀の勇姿:烏帽子岳
(O氏提供)

花色あざやかなイワギキョウ
(ホタルブクロ属だったんだ!)

あとで聞けばこの雷鳴は、全国的にはもっとすごい被害になっていたようである。
南から湿った空気が日本列島に流れ込み、北陸では集中豪雨・東海道新幹線が落雷で運休。
さらに驚いたことは、近くの黒部五郎小屋では雷が登山者に直撃していたというのだ。
しかもその人はストックから地面に電流が抜け無傷だったと聞き再度ビックリ! ョ()゚ロ゚)」ォ
でもわれわれ周辺は豪雨・落雷に襲われることなく、比較的平穏無事に過ぎてくれた。

全国で烏帽子の名を持つ山は非常に多くあるが、まさにこの山は平安貴族の被っていた帽子そのものではないか。
上記写真はO氏から頂いたものであるが、やはり素晴しい形だ。
美しい姿と三大急登の厳しい尾根をもつこの山は「日本200名山」の1つに相応しい。


チングルマ(現役)が咲き誇る

花が枯れたチングルマ
(稚児の風車が名の由来)

3人は朝食を済ませ6:40烏帽子小屋を出発。
小生は前日同様に重荷ザックにより亀歩調でスタート、2人のペースは今日も快調、あっという間に離され見えなくなってしまった。

遠雷とガスの中での単独行状態で「野口五郎岳:2,924m」へのなだらかな稜線道を行く。
「野口五郎は三井ゆりとうまくやってんのかなぁ・・。そういえば2年前の世田谷社宅のすぐ近くに住んでいたっけ。功名が辻に出演しているから仕事は順風だな・・。」
とか景色が見えないだけに、山とは関係ないドーデモいいことを考えながら重い足取りで歩いていく。

五郎の名はおもしろいが、北アルプスにはもう一つ「黒部五郎岳:2,840m」が存在する。
岩場を「ゴーロ」(大きな岩がゴロゴロとしている所)と呼び、そこから由来しているという。


岩礫のなだらかな稜線が続く野口五郎岳・真砂岳周辺(霧の中)

水晶岳に続く東沢乗越の岩稜を登る

北アルプスでの花の季節は7月下旬から8月上旬が盛りで、お盆過ぎの山は通常花には余り恵まれないのだが、今回は贅沢なほど多くの綺麗な高山植物に出会うことができた。
近年稀に見る豪雪の冬だったことから残雪も多く、花のシーズンも約1カ月遅れたのだろう。
本当にラッキーであり、数々のお花畑を通過して目を楽しませてもらった。
オコジョ・ホシガラス・イワヒバリにも遭遇、アルプスの深い大自然の一端に触れた。


アオノツガザクラ
(壷型のかわいらしい花) 

ベニイタドリ(名月草)

ベニジャコウソウ
(香料に似た芳香?)

パノラマの味わえぬ霧中での独り歩き・・午後の楽しみは「高校野球決勝再試合」しかない。
早実VS駒大苫小牧13:00プレイボール!斎藤・田中の投手戦、今日もラジオに耳を傾ける。

息詰まる壮絶な戦いの末、ついに早実が優勝!おめでとう!嬉しくて疲れも吹っ飛んだ。
それにしても斎藤投手は大したものだ。
史上初の7試合先発948球、甲子園春夏連続で2回も引分け再試合を投げ抜くなんて・・。
空前絶後の記録は今後破られることはないだろう。

ひたすらラジオ漬けで歩いた1日、今日もヘトヘトになりながら水晶小屋に14:30到着、お二方と2時間の差がつき「ホラ見タコトカ」とまたも冷たい視線・・。
ブルーな気分・・。

水晶小屋はコンパクトながら新しくて綺麗、夕食のカレーは高級レストラン風の美味!
山の中でここまで本格的な旨いカレーを食べたのは生まれて初めてだ。
泊まっている人たちは60歳を超えた人が多かったが、会話を聞いていると相当な知見と体力をもつエキスパート達である。
さすがにここは裏銀座の深い山々の拠点となる山小屋なのだな・・と感じた。



【3日目】 ついに遥かなる山々へ(水晶・赤牛・鷲羽)

今日はいよいよ北アルプス深遠部のメインコースを辿る日である。
朝から快晴、憧れの山々を訪ねる時に天候安定状態に入り、遠くには槍・穂高を始め北アルプスの名峰群が一望できる。
空身ピストンの身軽さもあって、奥深き山の楽しさを心おきなく満喫できる素晴らしい日となった。
「水晶岳:2,978m」は黒部源流の山々の中では最高峰を誇り、別名「黒岳」とも呼ばれる。
灰白色や赤茶けた山々が多い裏銀座の中では、確かに黒々とした色で男性的な風貌と貫録をもっている。
頂上から水晶が産出されることからこの名があるようだが、Y氏が拾った六角柱の石を見せてもらい成程納得した次第。
(やはり水晶岳の名の方が神秘的でいい!)

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水晶小屋から朝靄の水晶岳へ
(Y氏提供)

北アの最も奥深い山にいることを実感

水晶岳から雄大な赤牛岳を遠望

水晶岳北部から長く伸びる稜線の彼方には「赤牛岳:2,864m」が雄大な姿で鎮座している。
赤牛岳は、日本で一番アプローチに時間がかかる(高瀬ダムから往復26時間)遠い遥かな山である。
名前のとおり赤茶色の砂礫(花崗岩が風化)に覆われ、巨大な牛がゆったりと寝そべったような形である。
山容の大きさ・包容感の中で、長い牛の背の稜線を歩いているとまるで「南アルプス深南部」の中に身を置いているような感じがする。

頂上には、祠や石仏などは一切見当たらない。
山岳宗教の先人も入り込めないほど奥深い山域なのだと改めて感じた。
頂上から北部には読売新道という長い稜線が黒部湖に向かって続いている。
ようやく日本一の最深部に到達したという満足感を得ることができた。


日本一遠い山赤牛岳に続く稜線(長大な背中のよう)

黒部源流の最高峰
水晶岳、遠方には槍ケ岳

途中の雪渓で、ポットに残雪を入れ溶かし冷たい水を味わいながら歩いたが、O氏からは「自分も学生時代に同じことをしてお腹をこわし大変な目に遭ったことがある。」とアドバイスを受ける。
山奥深い赤牛の雪渓なら大腸菌などの心配はないだろうと信じて飲んだのだが、その後ゴロゴロ腹の調子が悪くなってきた。
そういえば最近の中国経済発展の弊害で、日本列島の雪に有毒物質大気や黄砂が混じってこの雪渓に残っているのかもしれない。

やはり飲む水には気をつけなければ・・・とまたも勉強させてもらった。(・・・教訓その3)

空身ピストン往復で水晶岳を再び登り返し、小屋に11:20到着。ゆっくり昼食を取る。
当初は水晶小屋に連泊予定だったが、前夜狭い部屋で睡眠に苦労(8月上旬は大混雑で地獄のようだろう・・)したことから、一挙に三俣山荘まで行ってしまおうと計画変更する。
でもここからは再び重い荷物を背負い、アップダウンがきつい道のりで鷲羽岳を越えて3時間近く歩かなければならない。またも独りで長い牛歩のごとく足を進めていく。

また午後は霧がかかり始めてきた。目を楽しませてくれるのは可憐な花だけである。


色鮮やかな派手な姿をPRするクルマユリ

可憐な5弁の花を咲かすハクサンフウロ

鷲羽岳への登りはきつく道のりが長く、15時過ぎにようやく頂上に着いたがガスで展望は利かない。
あと1時間この稜線を下れば三俣山荘である。
結構急な傾斜で、下りが得意な小生も疲れのピークを迎えてなかなか下山の足が進まない。
ようやく小屋が見えてきた。

16時過ぎてようやく三俣山荘に到着。
ハイマツに囲まれたオシャレな小屋で、裏側から見た槍ヶ岳のシルエットと目の前に迫る鷲羽のボリュームある山容・迫力が素晴らしい。

当初計画の水晶小屋泊りから、予定変更で三俣山荘まで一挙に歩き抜き2時間も稼げた。
O氏・Y氏とは明日も欲張って黒部五郎岳まで足を伸ばそうという計画を考えていたのだが、二人からは小生の牛歩を見て心配し再考を薦められた。
信頼感はもう殆どない。

三俣山荘の食堂は、クラシックBGMが流れており、まるで高原ペンションのようだ。
夕食に出された海鮮フライも肉厚で本当に豪華、しかし疲れが限界に来ているのか食欲は全くない。
重い足取りではお二方に迷惑をかけることになる。
自らの体調不良を認識し、黒部五郎岳の挑戦をあきらめる決断ができた。
明日は独りで深い山々の逍遥を楽しもう・・。


鷲羽の下りから三俣山荘が見えてきた

三俣山荘:夕暮風景
(疲れはピーク)

翌朝、三俣山荘発
(別コースに向かう)



【4日目】 あこがれの鷲羽池への探訪

三俣山荘ではリラックスした睡眠を取ることができた。
一昨日の狭い水晶小屋とは違い広いスペースで十分体を伸ばせたことや、プレッシャーから解放されて自由な逍遥ができるという安心感から、本当の意味で疲れを癒すことが出来たような気がする。

槍ケ岳の暁光、今日は本当に雲一つない素晴らしい日だ。
黒部五郎岳に挑む今日も元気な御二方の出発を見送る。
そのあとは一人で朝食、殆ど誰もいなくなった山荘でゆっくり自分だけの時間を過ごした。
さて余裕タップリの今日、どのように過ごしてみようか・・?
 
ハイマツの中でゆっくり昼寝でも楽しむかなどと思っていたが、「そうだ!鷲羽池だ!」「かねてから憧れの光景だった鷲羽池越しに槍ヶ岳を見てみよう!」と突然思い立った。
三俣山荘のアルバイト女性に「鷲羽池」について聞くと、池まで訪れる人は殆どいないし自分も行ったことがないという。

確かに鷲羽岳自体がアプローチに遠い山、その稜線からさらに外れた鷲羽池に訪ねる行程は余程ヒマと体力がある人でないと考えつかないと思う。
こんなチャンスを貰った自分はなんてラッキーなんだと前向きな気持ちに切り替え、昨日登頂済みの鷲羽岳をもう1度登り返してみる決断をした。

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槍ヶ岳北鎌尾根に暁光が注ぎ始める

鷲羽岳頂上からの大展望1
(遠くに薬師岳、手前は雲の平方面)

鷲羽岳頂上からの大展望2
(辿ってきた長〜い裏銀座ルート)

「鷲羽岳:2,924m」は日本百名山の1つだが、長い裏銀座コースのちょうど真中に位置し、赤牛岳同様にアプローチに大変時間がかかる遠い遥かな山である。
ここは何と黒部川源流の根源部だそうだ。
北アルプスの大峡谷を刻む凄まじい水量と急流の黒部川と雄大な黒部ダムの水は、この山から発せられるひと雫から生まれているということになる。

雲ひとつない頂上から俯瞰する大展望がスゴイ! 
槍・穂高連峰の勇姿、薬師・雲の平・黒部五郎の大カール、今まで苦労してきた水晶・赤牛・烏帽子の長い縦走路、船窪・針ノ木・立山も遠望できる。
まさに北アルプス裏銀座の中心部ならではの贅沢なパノラマだ。

そして沸き立つ朝雲に突鋭と聳える槍ケ岳の手前に、鏡がはめ込まれたような真っ青な「鷲羽池」が見える。
山岳写真集で見て「いつかこの光景に出会ってみたい」という憧憬がかなった。
よし今度は池のほとりを訪ねてみよう・・主稜線から池に下る路を降りていく。


真っ青な鷲羽池越しに望む雲海の槍ヶ岳

憧れの鷲羽池に下りてみる。(静寂の世界)

鷲羽池は北アルプスでは珍しい火口湖

鷲羽池の水面に映える逆さ鷲羽岳

鷲羽池へ辿る路は、鷲羽岳頂上から200mほど下った稜線から東南側に派生している。
上から見ると見事な円形の火口跡(北アルプスには珍しいようだ)があり、そこに丸鏡がはめこまれたような秘密の池が待っていた。

降りて見ればまさにそこは静寂世界、微動もない湖面はまさに鏡水そのもの、真っ青な空と火口丘の緑が静かに映っている。
誰も来ない独り占めの秘境逍遥で自己満足感に浸りながら、池の周りをゆっくりと散策していき反対側に来ると超絶景が目に飛び込んできた。
「逆さ鷲羽岳」・・・!緑と灰白色の鮮やかな山が対称パノラマで青空をバックにくっきりと湖面に映えている。
滅多に見ることができない美しく感動的な光景にしばし時間を忘れた。

三俣山荘に戻り、再びフル装備にパッキング完了して独りで双六小屋をめざして出発。
荷物も1日目と比べるとだいぶ軽くなってきたが、登りとなると歩きのペースはまた鈍る。
三俣蓮華岳から背後を振り返ると、美しい三角錐をした鷲羽岳がドッシリと威容を見せていた。
ここから見る姿は「自然庭園から眺める名山」パノラマ、極上の雰囲気が味わえた。


ミヤマトリカブト
(烏帽子岳と鳥兜は共通語源)

シモツケソウ(バラの仲間だそうです)

三俣蓮華・双六から見る鷲羽・ワリモ岳山容

三俣蓮華から双六に向かう途中には大規模なお花畑が広がっており、またもデジカメ写真で撮りまくる。
まだまだその場で花の名前はよくわからない、あとでゆっくり調べよう。

目的の双六小屋には13時半過ぎに到着。
小屋の手続・荷物を整理、黒部五郎岳に遠征している二人の到着を待つ。
Y氏からの無線ではやや遅くなるとの連絡があったので16時頃かな・・?と思っていたらなんと15時になる前に姿を現した。
意外に早い到着にビックリ!

とはいえ黒部五郎岳の道はかなりハードだったらしく相当お疲れのようである。
もし小生が一緒に行っていたならば、間違いなくどこかでへばって動けなくなっていただろう。

遭難になったら大事である。
やはり山は無理をしてはいけない。(・・・教訓その4)

それにしてもO氏とY氏の今回の健脚ぶりにはあらためて驚かされた。
3日目(水晶・赤牛・鷲羽)4日目(三俣蓮華・黒部五郎・双六)の地図コースタイムは約20時間にもなり、通常は3日がかりの行程を2日間で歩き切っているのである。
O氏は1ケ月前までは腰の不調で痛みを訴えており、裏銀座縦走は果たして大丈夫なのだろうか・・と、こちらが心配していた程なのにこの復活・元気さは一体何なのだ? 
完全に立場逆転である・・・。

いずれにしてもお互いの無事再会を祝ってビールで乾杯!山で生ジョッキビールが飲めるとは・・・、双六小屋もゴージャスだ。
北アルプスの山小屋は本当に贅沢の限りである。


ヒメヨツバシオガマ
(名の由来は葉が四つあること)

モミジカラマツ(葉は紅葉、花は唐松に見たたてこの名がついた)

双六小屋で3人合流(生ビールで乾杯!)



【5日目】 鏡平から新穂高温泉へ

長かった5日間の山旅、今日でいよいよフィナーレとなる。
双六小屋を5:20に出発。
今日はひたすら下るだけ、荷物も本当に軽くなった。(昨日の宴会で缶詰・ツマミ類も消化)
出発時はガスがかかっていたが、弓折岳あたりに来るとだんだんと晴れ始めてきた。
目の前は槍穂高連峰、槍の穂先はまだ見えないが大キレットのシルエットはよくわかる。
稜線を覆っていた雲の隙間から朝の日差しがシャワーのように注ぎ込んできた。
鏡池山荘に近づくと逆光ではあるが、槍ケ岳は完全に姿を現した。今日も確実に快晴!

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弓折岳から見る槍穂シルエットと暁光  (Y氏提供)

鏡平山荘はエキゾチックな雰囲気

鏡池に映える美しい槍穂高連峰

鏡平周辺は外国の山風景(行ったことはないが・・)を思わせるような、まさに天然公園のような雰囲気だ。池沼にあふれた静かな山あいの中に、お洒落な鏡平山荘が佇んでいた。
♪森と泉に〜囲まれて〜♪・・まさにブルー湖メッツ、絵葉書にしたいような風景である。

さらに歩みを進めていくと、鏡池に出て視界が開けた。
 …o(゚◇゚)o…!!! 何と美しい!

槍穂高連峰がコバルトブルーの湖面に映し出される感動の光景!
カナダの山にいるような雰囲気・・(行ったことないけど・・)。
昨日の鷲羽池と並ぶハイライトシーンの1つであった。


奥抜戸沢の威容、もうすぐ旅も終わる

タマアジサイ(蕾が球状に点在していることが名の由来)

得意な岩下りでテンポよく降りていくと、いくつかの大きな沢やガレ場に出る。
冷たい沢の水が本当に美味しく疲れが癒された。あともう少しでこの旅も終わりだ。
林道に出て暫く歩くと「わさび平小屋」に到着、O氏Y氏に追いついた。お二方は余裕で瓶ビールを飲んでいる。
小生はあとの楽しみで我慢し、一服休憩してまた足を進める。日本三大急登の1つともいわれる笠新道を横目に、さらに1時間余り退屈な林道を歩く。

別荘・車の駐車場・ロープウエイなどが目に入り、ようやく下界の雰囲気がしてきた。
11:00新穂高温泉バスターミナルに無事到着、本当に長い道のりお疲れ様でした・・!
発着所の前には「アルペン浴場」という無料の公衆温泉があった。ありがたいことである。
5日ぶりのお風呂・・・手足を伸ばしリラックス、溜まった垢と疲れをゆっくりと流した。
そのあとはビールで乾杯!この瞬間ですべてが報われる。

13:30バス出発、松本駅から新幹線帰京(東京は依然猛暑!)19:40自宅に無事到着した。



(今回最大の反省点)

今回はO氏Y氏に遅れること最大2時間半、歩行速度に圧倒的な差がついた山旅となってしまった。
前述したが、二人は徹底した「Light&Fast:軽く早く」で荷物は40リットル10kg、  
小生のザックは75リットル18kg、歴然たる差であった。
何がこんなに違ったのだろうか・・?

まず小生は飲食料で余計な贅沢品を多く持参しすぎてしまった。
(ビール2本・ウーロン茶2本を凍らせたうえに、保温水筒に氷を詰め込み、ワインボトルに缶詰・ツマミ類、昼食もおにぎり・フランスパンなど)
お二方は簡単な非常食はあるもののすべて山小屋調達。
昼食や調理・燃料器具も一切持たず徹底的な身軽方式、当然酒なんか持ってくる筈もない。

小生のイメージでは山小屋提供の昼食なんて粗末なおにぎり2個程度というものだった。
しかし今のトレンドは違う。何とも豪華!弁当屋での幕内弁当レベルの食材なのである。

そしてもう一つの決定的な違いは衣類の重さだった。
5日間山旅で雨に降られたり汗臭くなる不快に備えて、小生は着替えを沢山詰め込んできたが、お二方の内容にはビックリ! 
O氏の着替え→Tシャツ2 パンツ2 山シャツ1 着替えズボン1 防寒具1
Y氏の着替え→Tシャツ3 パンツ1 山シャツ1 着替えズボンなし 防寒具1、の超々軽量であった。

訊いてみればパンツは3日間同じもの履き続けなのだという・・!アンビリーバボー!
「気持ち悪くないですか?よく耐えられますね。」と尋ねても涼しい顔。
「年々技術進歩が著しく、今のTシャツや下着は超速乾性で臭いも全然しないし抗菌力が高いのでまったく問題がないんだよ。ローリングウエストさん、文明の利器は大いに利用しなくちゃ〜。」と教えてくれた。

ガ〜ン!目からウロコ・・・。
山道具の世界もこんなにも技術進化をしていたのか・・!
常に最新情報をキャッチアップし、性能面でいいモノにはカネをかけるというスタンスが小生には欠けていた。

いつまでも若いわけではない、早速見習おう・・。(・・・教訓その5)



【エピローグ】

30年ぶりの長い北アルプス山行(学生時代以来の4泊5日)を久しぶりに経験して、あらためて驚かされ再認識したことが2つあった。

1つ目は北アルプス山小屋がこんなにも豪華で充実していたとは!
話には聞いていたが実際に体験してみて本当に驚いた。
新しい設備・食事・サービスの豪華ぶりは、槍穂高等のメインルート山小屋に限られていると思っていたが、遠くて深い裏銀座コースの小屋にまで普及していたとは知らなかった。
それだけに宿泊料金は1泊2食で8,500円とやはり高額だ。
(弁当は1,000円、水・お茶も有料、ビール・酒を頼めばすぐに12千円前後になる)

2つ目はお年寄りが非常に元気であることだ。
今回こんな長丁場の裏銀座コースで65〜70歳以上の健脚な方に多く出遭った。
その中には我々のような山小屋泊りではなくテントや自炊道具を持ってハイペースで10時間近く歩いている人も何人かいたのである。
40歳代の自分が山小屋泊りベースなのに、こんなに苦戦しているなんて情けない。。。

日本の登山人口は900万人、中高年比率が圧倒的に高いと予想はしていたが調べてみると40歳以上が600〜700万人を占めるという。
(高齢スーパー登山者も多くいるのだろう) 
高齢化社会の元気パワーは確実に山の世界で大きな力を発揮している。
北アルプスの山小屋がこんなに豪華で充実しているのも、リッチな高齢層の購買需要があるからこそ成り立っているのだと思う。
(特に北アルプスは地理的に見て購買力のある関東・中京・関西圏登山者のアクセスが抜群によく人気も高い。需要を支えられる最大要因だ)

高齢者層がいなくなり少子化世代が主流になった時、北アルプス山小屋の現在の業態は果たして維持できているのだろうか・・?  
30年後は豪華な山小屋営業は不採算となり「あの時代は本当に活気があってよかったなぁ・・」と懐かしむ時代が来るような気もする。

我々も今の環境が当然だと思って油断した行動を取っていると、どこかで痛い目に遭うのかもしれない。
・・・とはいえ、今回の山旅はいろいろな面で目からウロコが剥がれ本当に勉強になった。
自分への教訓として取り入れるべきものは改善していこうと思う。

30年前の夏、大学先輩に連れられGDM裏銀座山行に参加して、初めて北アルプスを経験した。
富山有峰から雲ノ平経由、三俣蓮華から槍ケ岳を見た時の感動は忘れられない。
あの時は本当に重い荷物なのに食料計画はひもじく欠食児童のような夕食風景だった。
明日は大キレットに挑戦という南岳キャンプ場テントの中で、皆の貴重なインスタントラーメンを灯油で煮てしまい先輩に罵声を浴びたことが懐かしく思い出される。
あの頃と比べれば登山環境も抜群によくなり、今は本当にいい時代になったと思う。

終わり  .

(PS) ちょっと調子に乗りすぎて筆を進めすぎてしまいました。
 最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました!